産業科学館だより

山形県産業科学館 公式ブログ

3Dプリンターによる国会議事堂模型 寒河江工高よりプレゼント 


縮小ピコリン こんにちは、ピコリンです。

 

 11月29日(水)に、山形県立寒河江工業高校の生徒たちから、国会議事堂の

3Dプリンター模型をプレゼントしてもらいました。これで、東京スカイツリ

ーの模型と大きさの比較ができるようになりました。縮尺は1/1000で、とて

もリアルにできています。今は、みんなの目に触れる2階のフリースペースに

置かれています。きっと、子どもたちから大人まで、喜んでもらえることでし

ょう。

 

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 国会議事堂は、昭和11年に完成した鉄骨鉄筋コンクリート造の建物です。材

料をほとんど国内から調達したというオールジャパンの記念的な建築でした。

当時、山形県出身の日本や世界を代表する建築家が、国会議事堂の計画や建設

に深く関わっていましたよ。

 

 山形県産業科学館では、県内の特色ある企業をPR する一つとして、東京ス

カイツリーにかかわった企業やものづくりを展示しております。渡辺鋳造所の

メインエレベーターの綱車はその代表的なものづくりです。

 ぜひ、来館して、ごらんくださいね。

 

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がんばれ ! 技能五輪全国大会2017 メカトロニクス ミクロン精密(株)チーム  山口・遠藤選手出場 !


縮小ゆめりん こんにちは、ゆめりんです。

 

 今日は、「技能五輪全国大会2017」のメカトロニクスに出場する山形県選手

の応援ですよ !

 

 大会は11月24日(金)~27日(月)まで、栃木県で開催されます。昨年は

10月に地元山形県での開催だったので、とても盛り上がったことは、まだ記憶

にあたらしいですね。

 

 いよいよ本番が近づいている大会。メカトロニクスという職種には、産業科

学館に企業展示しているミクロン精密(株)さんのチームが、県代表として出

場します !

 

 メカトロニクスとは、機械工学や電子工学などの技能を活用し、工場自動生

産設備を模した装置を製作します。競技では、生産現場での作業を想定し、1

チーム2人の選手が連携して装置を製作して競います。

 

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 11月24日(金)が開会式、競技は11月25日(土)から26日(日)にわたって

おこなわれます。山口隼矢選手と遠藤圭佑選手、2人の技とチームワークに、

ぜひ応援の声を届けましょう !

 

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          技能五輪全国大会2016山形大会の資料から


SAITOUクラフトのモノづくり NHK BS1「スポーツイノベーション」登場 !


縮小チェリリン こんにちは、チェリリンです。

 

 10月に紹介した、山形県中山町にある「SAITOUクラフト」さんのモノづ

くりが、NHK総合、BS1と、それぞれの番組で放映されました。

 

 東京オリンピック2020年に向けて、陸上の女子円盤投げの円盤製作、パラ

リンピックでの2人乗りタンデムの実験が紹介されていました。山形県、そし

て中山町にとっても、とても誇らしいモノづくりの職人芸でしたね。

 

 超絶 凄(すご)ワザ! 「東京オリンピック全力応援 究極の競技用具を作

れ!」は、NHK総合で1030日(月)に放映されました。円盤が飛んでい

く科学的解析、空気抵抗の小さい円盤をつくる過程、そして選手がそれを投

げる様子を映し出していました。選手が、既製品と今回つくった円盤を、実際

に投げ比べてみると、みごとに記録を伸ばして、思わず拍手喝采でしたね ♪

 

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 スポーツイノベーション(NHK BS1 1119日(日))のなかでは、

パラサイクリングでの2人乗りタンデムの実験と、改善のアイデアが紹介され

ていました。この競技は、健常者と視覚障がい者の2人が乗って、時速およそ

50kmのスピードで、1/100秒を争う競技だそうです。

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 「空気抵抗をいかに小さくするか」。このテーマに向かっていくなかで、山

形大学の瀬尾教授の実験と「SAITOUクラフト」の齊藤社長のモノづくりか

ら、革新的なアイデアが生まれました。2気筒エンジンからの発想で、2人の

ペダルをこぐタイミングを変えるということでした。

 

 「SAITOUクラフト」さんの工場で、実際に実験装置を拝見させてもらう

と、それは単なる2人の人形というより、ロボットといってもいいような精巧

な動きでした。この種目は、科学的にどうなのかが、まだ、未知の分野だそう

ですね。2020年東京パラリンピックに向けて、さらに進化していくことを期

待しましょう !

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親子でからくり大発見 2017 by 産技短 11ブース大盛況 !


縮小ピコリン こんにちは、ピコリンです。

 

 11月18日(土)、山形県立産業技術短期大学校による “ 親子でからくり大

発見2017 ” が、霞城セントラル1階のアトリウムと、産業科学館の2階・4

階を会場に開催されました。おもしろい体験ができるということで、毎年恒

例の大人気イベントになりました。

 

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 キャッチフレーズは、楽しい工作や産業技術の「からくり=しくみ」を発見

しよう !  です。理科で習う原理や図画工作、パソコンなどをつかった「から

くり」満載の11のブースは、親子でいつもいっぱいの様子でした。ブースを

じっくりと回りながら、いろいろなモノづくりを体験できて、すっかり笑顔に

なり楽しんでいましたよ。

 

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 山形の未来を創るエンジニアを目指す学生のみなさん、そして先生方とが一

体になって、子どもたちの大発見を、やさしくお手伝いしていました。真剣な

表情でつくったり、実験したり、プログラミングしている姿が、とっても印象

的です。気持ちが通じあう親子の姿は、ほほ笑ましかったですね ♪

 

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◆ 入館者数データ

 ● 延べ総入館者数 5,452,562名 (平成13年1月1日~)

 ● 今年度入館者数   156,593名 (平成29年4月1日~)

 ● 今日の入館者数     2,066名 (平成29年11月18日)


 


“耐震・防火 & 免震 安全性へあくなき進化“ 科学技術の原点は、山形県出身の建築家だった!


縮小ゆめりん こんにちは、ゆめりんです。

 

 科学アイテムでおなじみの産業科学館ですが、3階には、さまざまな技術

開発に取りくまれている、県内企業のブースがあります。そのなかで、建物

や構造物の耐震と防火の分野で、これからもっと安全で、夢のある未来を創

ろうという会社がありますよ。

 

 一社は、建物に使われる「KES構法」「木質耐火構造」の技術を開発した

(株)シェルター。もう一社は、住宅や構造物の「免震システム」を開発し

たTHK(株)です。

 

(株)シェルター 耐震KES構法 & 木質耐火部材 COOL WOOD

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THK(株) 免震システム装置の動く模型

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 このように山形県の産業界では、さまざまな新技術の研究や製品化が進ん

でいます。これらの会社では、未来に向けて、安全で魅力のある住まいや、

新たなものづくりに、日々挑戦されています。

 

 暦は、もうすぐ師走の12月になろうとしています。年が明けて2018年は、

明治元年から起算すると150年になるということです。建築物を科学的に解

析して、安全で快適な環境をつくろうとスタートを切ったのは、明治時代の

後半にさかのぼることができるようですよ。

 

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「地震・雷・火事・親父」

江戸以前から使われていたとされる、この世で怖いものを並べたことわざ。地震大国日本は、大きな火災も恐れてきました。住まいや街が、主に「木」でつくられてきたからです。山形市では明治時代、米沢市では大正時代に、それぞれ2回の大火があり、1000軒以上の公の施設や住宅が燃えてしまい、公私の財産をたくさん焼失してきました。

 

このような日本で、地震にも強く、燃えない住宅と都市を、科学的につくろうとした人がいました。その人は、佐野利器。明治13年荒砥村(現白鷹町)で生まれ、幼名は山口安平。地元の小学校を出て、米沢中学校(現興譲館高校)に進んだものの、大地主だった家が没落。しかし、苦学ののち佐野家に養子となり、名を「利器」と改名しました。そして二高卒業後、国のために建築を修めようと、明治33年、東京帝国大学建築科に入学しました。

 

「地震の振動は、構造体にどう作用するのか?」

この研究は、世界でも未知の分野でした。卒業後佐野は、日本とサンフランシスコの地震の現場をつぶさに歩きました。耐震の研究、実作を進めて、ついに『家屋耐震構造論』(大正4年)を発表。この佐野理論が、世界の「耐震構造学」の基礎をつくることになったのです。佐野の門下生たちは、この科学理論を大きく発展させてきました、五重塔を手本にした柔構造、さらに制振構造や免振構造の開発へとつながり、現代に続いています。

 

昭和33年、高さの象徴と言える「東京タワー」が立ち、日本で最初の超高層ビル「霞が関ビル」が昭和43年に誕生。やがて超高層ビルが立ち並ぶまでになりました。そして、世界一高いタワー634mの「東京スカイツリー」(平成24年)にいたっています。

 

ちなみに、「東京タワー」の設計は、佐野の門下生である内藤多仲と日建設計。「霞が関ビル」の構造設計は、同じ門下生の武藤清で、設計は米沢出身の山下寿郎。現在の山形県庁の設計も山下設計によるものです。そして、山形県産業科学館の入っている超高層ビル「霞城セントラル」(平成13年)の設計は、「東京スカイツリー」と同じく日建設計となっています。

 

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さらに佐野利器は、火事で燃えにくい住宅や都市にも着手しました。

大正12年、関東大震災が勃発。さっそく帝都復興院が創設され、佐野は理事、建築局長(帝大教授兼任)として、自ら先頭にたって復興事業にあたりました。それは、世界にも例のない規模とスピードで進められたということです。

 

そのなかで、道路や大公園が予算の関係で削られていきましたが、これだけはという佐野の夢としてこだわったことがありました。それは小学校を、地震の揺れにも火にも強いことが証明された鉄筋コンクリートで建て、隣に小公園をつくることでした。この大震災を機に、鉄筋コンクリート造が一気に普及していくことになったのは、佐野の果たした役割が大きかったと言えます。

 

さらに佐野は、「科学技術の時代にふさわしい校舎を」と、設備においては水洗トイレとスチーム暖房を完備させ、専用の理科室を設けようとしたのです。しかし教育局は、水洗も暖房もぜいたくだと反対し、理科室でなく畳敷の作法室を設けるように求めてきました。

 

佐野は、震災前から計画されていた小学校に、作法室ができたことを知って、現場監督に命じて壊してしまったそうです。とうとう教育局もあきらめたという、佐野の気迫に満ちたエピソードが残っています。

 

佐野利器は、子煩悩で教育環境の整備にも熱心。日本教育会会長も務めてきました。昭和31年鎌倉の自宅において死去。建築を生涯の道に定めたときから、「建築によって社会と国家に役立ちたい」と強く決意。それを実行した明治らしい覚悟の人でした。

 

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 このように、山形県の先人には、科学的なものの見方と、そのあくなき実践

の心を持ち続けて、人のために役立ちたいと思い奮闘してきた人がいるのです

ね。現代の「東京スカイツリー」でも、ルーツをたどると、科学技術とものづ

くりにかける絶え間ない情熱が、引き継がれてきたことがわかります。